若き日の弘法大師(空海)は室戸岬を修行地として選び、難行苦行の末多くの悟りを開いたと言われています。
この像は昭和59年11月、大師の徳を慕う信者や一般の方々の寄進によって建立されたもので、青年空海の力強い生き方がしっかりときざみ込まれています。高さ21m(台座5m含)(室戸市ホームページより)
室戸青年大師像
「室戸青年大師像」と室戸のつながり
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弘法大師 空海
弘法大師空海は、室戸岬の荒々しい大自然の中で悟りを開き、 眼前に広がる“空と海”から僧名を得て、今も室戸に数々の伝説と深い信仰を刻んでいます。 四国高知の南東端、三方に太平洋を一望できる室戸岬。 そこに人の横顔に見える天然の奇岩があります。 この横顔は室戸では真言宗の開祖・弘法大師空海のものと言われていて、地元の人々が空海を慕い、大切にする想いを感じることができます。 室戸の人々は弘法大師のことを親しみを込めて「空海さん」と呼びます。 空海さんは奈良時代の終わり(774年)讃岐の国・多度郡(香川県北部)の豪族、佐伯直田公の子、眞魚として生まれました。 田公は眞魚を官僚にするため18歳の時に大学に入学させますが、眞魚は入学後にある修行僧から虚空蔵求聞持法という修行法を授かりこれに傾倒します。 この虚空蔵求聞持法を実践すべく訪れたのが、当時「最」(ほつ)と呼ばれていた最果ての地、室戸岬なのです。 虚空蔵求聞持法は真言を百万遍唱えることで、あらゆる経典を記憶できる力を得ようとする過酷な修行法です。 険峻な岩山が林立し、雄大な太平洋が迫る室戸の大自然の中で、自分を極限まで追い込んだ時、ついに眞魚は、金星が空に虚空地蔵菩薩の御姿として輝き、自分の中に飛び込んでくるという神秘体験を経て、室戸の御厨人窟にて悟りを開きます。 そして洞窟の中から見えるものは、水平線に隔てられた「空」と「海」のみだったことから、自らを「空海」と名づけました。 人生の転機を得た空海さんは804年(31歳)、遣唐使の長期留学僧として唐に渡ります。唐にて修行し、わずか1年の修行で最上位の僧「遍照金剛」となった空海さんは806年に帰国します。そして帰国後すぐに天皇の勅願を受け、空海さんは全国各地に寺院を開創します。 第二の故郷とも言える室戸にも戻り、最御崎寺(ほつみさきじ)・津照寺(しんしょうじ)・金剛頂寺(こんごうちょうじ)の三寺を開創しました。 現在この三寺は四国八十八箇所の札所となり、全国からお遍路さんが訪れるとともに、地元の人々から信仰を集めています。 また空海さんは室戸に数多くの伝説を残していて、今もその足跡を辿ることができます。 室戸岬・最御崎寺には空海の七不思議、 くわずいも・鐘石・一夜建立の岩屋・明星石・行水の池・目洗いの池・捻岩があり、金剛頂寺でも一粒万倍の釜や弘法大師行状絵詞の逸話のレリーフを見ることができます。 室戸市は太古の地殻変動の痕跡が表出し市全体が貴重な地質遺産として世界ジオパークに認定されています。 その不思議で珍しい風景と空海さんの伝説と信仰が一体となって、神秘的な歴史のロマンを感じさせる美しい地域です。 空海伝説とジオパークを巡る旅・室戸にぜひ足を運んでみてください。