高知県郷土民謡大会で第1位となった「馬子唄」や「太刀踊り」が奉納される。
室津八幡宮秋祭
「室津八幡宮秋祭」と室戸のつながり
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室津港
室戸の玄関口・室津漁港〜世界へ漕ぎ出した漁師たち〜 マグロ漁業の歴史を刻む港町 四国・高知県の南東端、三方を太平洋に囲まれた室戸岬から、国道55号を西へ約5km。海沿いの道を進んだ先に室津漁港があります。 この港は、室戸市の中心部にもほど近く、古くから町の海の玄関口として、室戸の漁業と暮らしを支えてきました。 港の背後には、四国八十八箇所霊場・第二十五番札所「津照寺(しんしょうじ)」が静かに佇み、今も海とともに生きる人々と、航海の安全を見守っています。 津照寺の長い石段を登る途中でふと振り返れば、停泊する漁船、往来する舟、そして太平洋の大海原が視界いっぱいに広がり、空の青と海の輝きが織りなす風景に、胸がすっと澄むような感覚を覚えます。 室津漁港の歴史は平安時代までさかのぼります。 歌人・紀貫之が記した『土佐日記』では、「室津に十日留まり、荒海が鎮まるのを待った」と綴られ、風待ちの港としての記憶が刻まれています。 港が本格的に築かれたのは江戸時代初期の1629年。 僧・最蔵坊が荒磯を掘り始めたものの、工事は難航。後に土佐藩が殖産興業の柱として整備を推進し、1667年に掘込式の人工港として完成しました。 しかし室戸は、地震による地盤隆起を繰り返す世界的にも稀な地質構造を持ち、港は災害のたびに底を掘り直さねばなりませんでした。 掘削された土砂は周囲に盛られ、やがて港町は海面よりも高く形成され、今では「港の上」と呼ばれる独特な坂道地形が生まれています。まさに、地質と人の営みが造形した風景です。 こうした苦難と工夫の上に誕生した室津漁港は、やがて捕鯨・カツオ・マグロ漁の拠点として急速に発展。 長期航海のための食糧・生活用品の積み込み、船の整備で町は活気を帯び、昭和40年代から50年代(1965〜1980年代)の最盛期には市外からの出稼ぎの人々が溢れ、夜の町は人と肩がぶつかるほどの賑わいを見せたと聞きます。 室戸の漁師たちは、南アフリカ沖やニュージーランド沖など世界の海へ漁場を広げるほどの技術と胆力を持ち、漁法や知見は国内外に広まりました。今もその技術は、世界中の海で高く評価され、海洋産業の現場に貢献し続けています。 しかし、排他的経済水域(EEZ)の設定、燃料費の高騰、漁獲量の減少など、いくつもの要因が重なり、室津港を支えていた遠洋漁業は徐々に衰退。 それに伴い、港の規模も縮小していきました。 加えて、マグロ漁は「水掛地蔵」の由来からも読み取れるように、命懸けの危険と過酷さを伴う漁法です。荒波と自然の脅威に向き合いながら、漁師たちは命を懸けて海へ漕ぎ出していました。 そうした厳しい環境の中でも、室戸に本拠を置く(株)泉井鐵工所が、マグロ延縄漁に使う漁労機械の開発・製造・販売を一貫して行い、安全性と効率性を追求してきました。泉井鐵工所の技術革新は、現代のマグロ漁のスタイルを形づくる上で大きな役割を果たしています。 現在でも、室戸の漁師たちは「近海はえ縄漁・遠洋はえ縄漁」で海へ漕ぎ出し、クロマグロ・メバチ・キハダなどの天然マグロを漁獲しています。 遠洋漁では、高性能な冷凍技術により鮮度を保ち、近海漁では神経締め・血抜き・冷海水管理などを施した丁寧な処理が光ります。 こうして水揚げされた室戸の漁師のマグロは、国内市場でも高品質な逸品として高く評価されています。 さらに、港の近海で獲れた「地魚」も、「港の上」の飲食店で、生産地ならではのお料理として提供され、歴史ある漁師町の滋味が、新鮮な旬の味覚として訪れる人々を迎え入れてくれます。 -
神祭(じんさい)
いよいよ秋の神祭(じんさい)の季節がやってきました。 室戸が一番盛り上がるといっても過言ではないのではないのでしょうか。 室戸の基幹産業である農業や漁業の豊作豊漁を祈願し、地域各々の文化歴史が色濃く反映されていて、国や高知県の無形文化財に選定されている地域もあります、起源を遡ることが難しいほどの長い歴史が育んだ、室戸独自の「神祭」をぜひ観に来ませんか?