人々が受け継ぐ秋祭りの灯
室戸・吉良川『神祭』花台の幻想舞
土佐漆喰の白壁がまばゆく輝く町並み。吉良川町の信仰の中心に鎮座するのが御田八幡宮です。
この御田八幡宮では毎年秋、10月第2土曜(宵宮)・日曜(昼宮)にかけて、五穀豊穣・家内安全・地域繁栄への願いを込めた「神祭(じんさい)」が催されます。
地元の氏子域は傍士、上町、東町、中町(下町)、西町。それぞれの地域が華やかで力強い奉納を展開します。
神祭の見どころは何といっても「花台(はなだい)」、そして傍士地区が誇る「お舟(おふね)」。
花台は各地区から1基ずつ出される豪華絢爛な山車で、約120個の提灯が灯り、竹ひごと和紙で織りなされた造花「花」が、隔年で彩りを添えます。夜にその灯りが揺れる光景は、まるで幻想の中に迷い込んだような美しさ。
一方のお舟は、朱塗りの屋形を持ち、舳(へさき)と艫(とも)が見事に反り返った舟型の山車。細部にまで施された装飾は職人技の結晶で、内部の神棚には満潮時に拾った海の小石と海水が祀られています。まさに人々と海と神をつなぐ象徴です。
土曜夜の宵宮では、花台が境内に集結。1トン近い花台を担ぎ、男たちが走り出して始まる「チョーサイ舞」。勢いよく回転させられる花台は、地鳴りのような掛け声とともに、夜の闇を照らす提灯の光の渦となって、観る者の目を奪います。
その体験談のひとつには、元ラガーマンの男性が参加したエピソードも。体力自慢の彼でさえ「準備していたのにキツすぎてギリギリだった」と語るほど、激しい演舞。それでも舞の終わりに広がる提灯の光輪は、苦労すら忘れさせるほど幻想的です。
宵宮の夜、しっとりとした舟歌の奉納が静かに響きます。
日曜昼の昼宮では、4基の花台が傍士地区へ向かい、神様を迎えます。お舟に神様を乗せると、舟を先頭に、鮮やかな造花をまとった花台が列をなして町を巡行。祈りがゆっくりと町全体を包んでいきます。
御田八幡宮に戻った一行は境内で「笹舞(ささまい)」を奉納。花台とお舟が緩やかに回るその舞は、優雅さと神聖さを兼ね備えた深い儀式です。そして神輿が海岸の浜宮(御旅所)へ渡御した後、再び笹舞が奉納され、祭りは最終の祈りへと至ります。
祭りの終わりには、花台を彩っていた「花」が縁起物として参拝者へ配布されます。手にした造花は、祈りの証として持ち帰られ、暮らしの中に祈願の気持ちを宿します。
御田八幡宮秋祭
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「御田八幡宮秋祭」と室戸のつながり
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吉良川の町並み
土佐漆喰の建築美と石塀が映える備長炭の町、伝統建築と祭りが織りなす歴史景観地区 室戸岬から海岸線を西へ16キロ、吉良川町は鎌倉時代の文献にも登場するほどの古い歴史と、独特の文化を持った町並みです。 その特徴的な家々は高知県で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 吉良川町に歴史的建造物が多く建てられたのは明治から昭和初期にかけて。室戸に多く自生するウバメガシから特産品の土佐備長炭を生産し、京阪神地区へ積み出す港として商家や廻船問屋が軒を連ね、栄華を誇りました。また、町の最奥には広い境内を構える御田八幡宮があります。御田祭や秋の神祭が大々的に行われる、地域で慕われる祭神です。 そして吉良川は2つの特徴的な町並みを形成しました。 旧街道沿いには豪華な町並み「下町地区」があります。 家の壁は白く輝く「土佐漆喰」。漆喰は何度も塗り重ね、手の平で擦り付ける事で光沢を出しています。粘着力があり、防火・防水、塩害にも強い優れものです。 2階建てですが家の高さは低く見えます。台風対策のために2階の天井を意識的に低くして、物入れとして使った「つし二階」と呼ばれる建築です。 そして側面には暴風雨の雨水を素早く地面に落とすために反って作られた「水切り瓦」 交易の際に京阪神から持ち帰った当時最新の赤い「煉瓦」を用いた壁も見えます。 おしゃれな木の「格子」窓。玄関わきの柱の装飾「持ち送り」など数々の工夫に富んだ独特な町家が軒を連ねています。 山側の「上町地区」には空間を広くとって軒を低く抑えた家に「いしぐろ」と呼ばれるこれもまた特徴的な石塀を屋敷周囲に巡らせた農村的な民家が作られました。 室戸岬は1934年の室戸台風に代表されるように、日本の台風の入口となることの多い土地です。そのため古くからの建造物には施された独特の台風対策が見て取れます。 -
神祭(じんさい)
いよいよ秋の神祭(じんさい)の季節がやってきました。 室戸が一番盛り上がるといっても過言ではないのではないのでしょうか。 室戸の基幹産業である農業や漁業の豊作豊漁を祈願し、地域各々の文化歴史が色濃く反映されていて、国や高知県の無形文化財に選定されている地域もあります、起源を遡ることが難しいほどの長い歴史が育んだ、室戸独自の「神祭」をぜひ観に来ませんか? -
御田八幡宮
白壁の町・吉良川町の人々の祈り ー鎌倉から続く信仰の中心に佇む社ー 室戸岬から海岸線を西へ約16キロに位置する吉良川町は、鎌倉時代の文献にも登場するほど古い歴史を持ち、独自の文化が息づく町並みで知られています。 特徴的な家々は、高知県で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、土佐漆喰の白壁や水切り瓦、いしぐろ(石垣塀)などが往時の風情を今に伝えています。 この町の中心に鎮座するのが、御田八幡宮(おんだはちまんぐう)です。創建年代は不詳ながら、室町時代後期に地元の豪族・和食親忠によって鳥居が造立された記録が残されています。 石造りの鳥居をくぐると、広々とした境内には楠(クスノキ)やエノキなどの大木が立ち並び、その樹幹や枝には、高知県指定天然記念物であるボウラン(棒蘭)が自生しています。ボウランは亜熱帯から熱帯にかけて分布する着生植物で、県内でも極めて珍しい存在です。春には桜も咲き誇り、訪れる人々を魅了します。 境内には、御田八幡宮の境内社・八坂神社があり、ここは春の御田祭(おんたまつり)や秋の神祭(じんさい)の舞台にもなります。 これらの祭礼は鎌倉時代に始まったとされる古式神事で、室戸に多く自生するウバメガシから生産される土佐備長炭の積み出し港として栄えた明治〜昭和初期を経て、現在に至るまで地元の人々に大切に守られてきました。 御田八幡宮は、こうした祭礼を通じて地域の信仰と文化を支え続けてきた、吉良川町の精神的な支柱ともいえる貴重な文化財です。 -
御田八幡宮春祭
鎌倉から続く春神事 ・奇祭「御田祭」 室戸・吉良川の再生を祈る命の舞台 土佐漆喰が白く輝く町並み・吉良川町。 その信仰の中心に鎮座するのが、御田八幡宮です。 この御田八幡宮で、西暦奇数年の5月3日に行われる象徴的な神事が「吉良川の御田祭」です。 鎌倉時代に始まり、平和と民の安寧、五穀豊穣を祈願して奉納されてきた古式祭典であり、国の重要無形民俗文化財に指定されています。 春祭の朝は、町内の主な神社や小学校などを巡りながら踊る「練り」から始まります。 紋付袴に一文字笠を被った男たちが小石を中心に円陣を組み、「ヨッピンピーロ」と囃しながら、右足と左足を交互に交差させて太鼓に合わせて舞います。 この踊りは、田を練る(耕す)所作を模した儀式的な舞であり、神様と人々に祭りの始まりを告げる呪術的な意味を持つとされています。 地元の人々はこの舞を厳かに見守り、最後には吉良川の海岸で「清めの海水」を汲む儀式を行い、演者たちは途中笠を人々にかざしながら御田八幡宮へと向かいます。 午後からは、御田八幡宮の境内社・八坂神社にて、田遊び・田楽・猿楽などの古風な能楽が奉納されます。 春の田植えから秋の収穫までの稲作の営みを一日で演じるこの舞台は、人の一生を象徴するものとも言われています。 中でも注目を集める演目が「酒しぼり」です。杜氏婆(とうじば)と呼ばれる女性役が、水桶に柄杓を入れて頭上に掲げながら登場し、酒を絞る所作を演じます。 その最中、神の子(木製の人形)が“誕生”するという演出があり、取り上げ婆が人形を高く掲げて「子どもができた!」と叫ぶと、子授けを願う女性たちが舞台に駆け上がり、人形を奪い合う争奪戦が始まります。 人形は分解可能な構造で、手や足、胴体などをそれぞれ奪い合い、争奪後には元の姿に戻され、参加者が順番に神殿で人形を抱いて子授けを祈願します。 最後に人形が身につけていた赤い布を裂いて持ち帰るのが習わしです。 このことから御田祭は子授けの祭りとしても知られ、日本三大奇祭の一つに数えられることもあります。 御田祭は、単なる農耕儀礼ではなく、人間の誕生・成長・収穫・再生を象徴する舞台です。 大勢の観光客が集まるような祭りではありませんが、鎌倉時代から続く由緒正しい神事として、吉良川町の人々にとってかけがえのない文化として大切に守られています。