807年に弘法大師空海の開基と言い伝えられています。嵯峨天皇の御代に、勅命により国家を守り衆生の利益を願う勅願所となりました。弘法大師自らが斧をとり、一削三礼の秘技をもって製作したといわれる「虚空蔵大菩薩」は秘仏となっています。
足利幕府時代には、土佐の安国寺として定められました。
境内には、空海の七不思議の「鐘石」や、土佐藩二代目藩主山内忠義公により寄進された「鐘楼堂」などがあります。
明治初年まで女人禁制でありました。霊宝殿には、国指定重要文化財の仏像3体を収蔵し、例年11月初旬に行なわれる『室戸岬灯台まつり』開催時に一般公開されています。(参考:室戸市観光協会HP)
最御崎寺(ほつみさきじ)
「最御崎寺(ほつみさきじ)」と室戸のつながり
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喰わず芋
空海の7不思議。 1200年以上前、空海が室戸岬で修行していたころ、空腹の空海は、今の水掛地蔵の近くで里芋を洗ったいたお婆さんに、里芋を所望しました。ところが里芋と惜しんだお婆さんは咄嗟に「この里芋は食べられない」と言ってしまい。その時以来、この里芋は食べることができなくなりました。このことから「喰わず芋」と名付けられました。しかし空海は、この「喰わず芋」に薬効を授けたと言われています。(参考:室戸市の民謡・伝説) -
弘法大師 空海
1200年ほど前の平安時代、香川県善通寺市に誕生した空海は、真言宗の開祖として知られています。 空海は室戸岬の荒磯乱礁のほとりで苦行修行を積みながら、悟りを開きました。空海にとって、室戸岬の大自然は、第二の誕生の地と言い得る霊地となりました。遣唐使として入唐した空海は真言密教に没頭し、そして再び室戸の地を訪ね、室戸の地に三山「最御崎寺」「津照寺」「金剛頂寺」を開きました。 -
津照寺
大同2年(802年)に空海により開基したと伝えられています。 ご本尊の楫取り延命地蔵菩薩は、空海自身が古儀に則り彫刻したものと言われています。 ご本尊の名前の由来については、土佐藩初代藩主の山内一豊公が室戸沖で遭難しかけた時に、一人の僧が現れて難を逃れることができ、一豊公がその僧を追って津照寺に来きてみると、ご本尊がびしょ濡れになっていたことから、一豊公によって名付けられたと言われています。 -
金剛頂寺
本尊は弘法大師自らが刻んだ薬師如来像です。この如来像は、お堂が完成したときに自ら歩いてお堂の中に入り、鎮座したと伝えられています。それ以来、この如来像は秘仏となり、千数百年の間人の目に触れたことはありません。境内の霊宝館には、弘法大師が背負って歩いた旅壇具や朝鮮高麗時代の鐘、平安末期の阿弥陀如来座像、白鳳時代の観音菩薩像、鎌倉時代の真言八祖像、経典、密教法具等の国の重要文化財が保存されています。明治初年まで女人禁制でありました。(室戸市観光協会) -
室戸岬灯台まつり
室戸岬のシンボルでもある「白亜の灯台」は初灯から120年あまりを迎えており、 そのレンズは日本最大級を誇る2m60cmと大きく、光達距離は49kmに達します。 「室戸岬灯台まつり」では、普段は入ることができない、室戸岬灯台内部見学、また最御崎寺宝物殿も見学できます。ぜひお楽しみください。 こども灯台守の募集もしてます☆ -
捻岩
捻岩
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空海の7不思議。 若き空海の修行中、身を案じた母(玉依御前)が善通寺よりはるばる空海を訪ねてくる途中、大嵐に見舞われました。空海は母を助けるために、法力によって石を捻じ曲げて洞窟に避難させ、念仏を唱えて嵐を静めたと言われています。(日テレ) -
岬の上 灯台ぐるりウォーク
室戸世界ジオパークの魅力は、海岸沿いだけに留まりません。灯台周辺を歩いてめぐる『岬めぐりウォーク』では、かつては深海だった場所をめぐります。波の音や鳥のさえずり、風が森を抜ける音をBGMに、灯台へと続く森の小道~灯台~最御崎寺の境内を、ガイドと一緒にのんびり散策するコースです。